喧嘩両成敗の誕生

喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

まー最近ささいな事がきっかけが惨劇に!!!!1111ぬという事もたまにありますけど当事者の関係者も巻き込んで大戦争に!!なんてヤクザですらあまりやらないじゃないですか、でも中世日本…ここでは室町時代はちょっとした諍いがきっかけで簡単に殺人が行われ結果一族郎党巻き込んで物凄い合戦になってしまったとかそういうのがザラにあったわけですよ。今だったら個人間で民事紛争になったら裁判に訴えたりするわけだがヨーロッパも日本も中世は個人が失われた権利を直接回復する=自力救済が一般的だったわけですよ。治安もへったくれもありゃしねえ。そこで近世に入ると自力救済を制限して紛争解決に為政者の仲介が入るような仕組みが考えだされ、それが近代法になっていったワケですな。ただ、ヨーロッパの場合だと裁判のジャッジとしての裁判官という位置づけがあり、判決は文字通り勝ち負けという事になるのですが日本は何故か喧嘩が起きたら両方処罰する「喧嘩両成敗」とゆう、だったら裁判もクソもねえじゃん!!という法が考えだされた、それは何故かというのが明かされていくのが本書ですな。ヒントは「『目には目を』で有名なハンブラビ法典は単なる復讐法ではなくて、ある被害を受けたら倍返しをしてはいけない、という法思想だった」という事です。しかしこの本に出てくる中世人達のキレっぷりやギスギスは現代日本の生活ではあまり見られなくなったけどネット上での揉め事の頻発ぶりを考えると日本人の心性は700年近くたった今もあまり変わってねえなあと思った(;´Д`)